Reach For Tomorrow

日々の一部始終

岸本佐知子講演会 「人はどのようにして翻訳家になるのか?」

先日早稲田で行われた岸本佐知子さんの講演会に行ってきた。

以前参加したトークショーが楽しかったので、今回も面白そうだと思って潜り込んだ。その時のトークショーの感想はこちらに書いたのでよかったら。

m-tenenbaum.hatenablog.com

インタビュアーは、翻訳家としては認識していたけど、早稲田で翻訳のゼミを持っていることは今回初めて知った松永美穂さん。

 

〜翻訳家になるまで〜

中学生の時に、絵本の英訳をする宿題で褒められ、それがほぼ唯一の成功体験だった。それが後々翻訳の道に進むきっかけになったとのこと。その後、「文系で英語が得意だったらなんとなく英文科じゃない?」的な周囲の雰囲気に流されて大学へ。

大学では、リチャード・ブローディガン作品の藤本和子訳を読んで、原文より面白いと感じたりしたものの、依然として翻訳家にどうやってなるのかわからないままだったので、就職。ちなみに大学生の時の記憶は3日分くらいしかないくらい暗黒期だったとのこと。

しかし、社会人になっても全然仕事ができないし(「出勤時間を守るという意味がよくわからなかった」・「仕事を辞めた後でも、職場で仕事ができない人がいると『お前、岸本みたいだな』と名前が出てきたらしい」)、人の役に立っていないことでメンタル面が危うくなり、会社以外の居場所が必要であるということから、翻訳教室に行くことを決意。翻訳教室を選んだ理由も、絵画教室と迷ったけど初期投資があまりかからないからというかなりボンヤリしたものだったとのこと。

英文科卒だったこともあって天狗気味で翻訳教室に参加したものの、参加者のレベルの高さと講師の厳しさを痛感して、真剣に勉強を始める。

とはいえ、依然として翻訳家になる方法がよくわからないままだったが、たまたま職場で広告などに関わる仕事に携わっていた縁で、ある作家に「とにかく急ぎで訳してほしい本があって、誰でもいいから翻訳できる人を探しているみたいだけど興味ない?」 と声をかけられ、二つ返事で引き受け、そこから3ヶ月(1ヶ月かも?)で1冊訳したとのこと。今はそのペースで訳せないから、よっぽど真剣にやったのだと思うと振り返っていた。

ようやく初めて翻訳家としてデビューをしたので、その後の翻訳の依頼があるかどうかもよくわかってないまま仕事を辞めてしまったけど、どうにか今に至るという話だった。

 

〜翻訳家としての日々〜 

 ・今でも、小説の英語は半分くらいわからないから、調べながら翻訳する。時には大使館に電話をかけたりすることも。インターネットが出てくるまでは、固有名詞の翻訳に更に手間がかかっていた。特に、松永さんとはニコルソン・ベイカーの翻訳の難しさについて語り合ってた。 

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 

 ・翻訳する作品の選び方に関しては、amazonで本の表紙を見て、気になった作品を片っ端から買って積んでおいて、その中から更に気になった作品を訳すというスタイルをとっている。その結果、訳したいなと思っていた作品が他の方に訳されることもあるとのこと。

 

・ちゃんとした作家の翻訳は、他の方が訳すと思って、自分が好きな変わった作品や作家を訳していたうちに、変な人を翻訳する人のイメージがついて、「この本、翻訳して見ませんか?」との依頼がくるようになった。

 

・エッセイを書くのが実は嫌い。小説を書いてみようと思ったこともあるけど、全く書けなかった。本当のことしか書けない。

 

〜感想〜

質疑応答の時間になったところから、「たべるのがおそい」(アメトークでも紹介されてた)の西崎憲さんも加わってより贅沢な時間になり、翻訳している最中に作品の世界に入り込めない作品は、どうしたって名作になりえないという話はプロ意識が伝わってきた。 

文学ムック たべるのがおそい vol.1

文学ムック たべるのがおそい vol.1

  • 作者: 穂村弘,今村夏子,ケリールース,円城塔,大森静佳,木下龍也,日下三蔵,佐藤弓生,瀧井朝世,米光一成,藤野可織,イシンジョ,西崎憲,堂園昌彦,服部真里子,平岡直子,岸本佐知子,和田景子
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2016/04/15
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あと、質問した学生の多くが岸本さんのエッセイから翻訳に興味を持ち出したという話をしていて、かつて岸本さんが藤本さんのブローディガンの翻訳から翻訳の世界に足を踏み入れたように、岸本さんも多くの人を翻訳の世界に引き込んでいるという事実を目の当たりにして素敵な気分になった。

挫折していた「エドウィン・マルハウス」をもう一度読んでみようと思いました。 

ねにもつタイプ (ちくま文庫)

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濱口竜介「カメラの前で演じること」〜映画「ハッピーアワー」テキスト集成〜

12月によっぽどのことが起きなければ、今年見た映画で一番好きだったのが「ハッピーアワー」であることは揺るがなさそう。

キネ旬の2015年の日本映画ベストテンでは、「恋人たち」、「野火」に続いて第三位になっているけど、個人的にはその上位2作より圧倒的に好き

5時間17分(3部に分かれている!)という桁違いに長い上映時間が気にならないくらいどころか、もっと長く見ていたいと素直に思わせてくれる稀有な映画。そして何より、この映画のキャストのほとんどが演技経験がないということに衝撃を受けた。

 


映画『ハッピーアワー』予告編

 

簡単にあらすじを説明すると、神戸に住む30代後半の4人の女性グループが、それぞれ抱える問題と向き合うという地味な話なんだけど、映画を見た後は、色々な場面で「これはハッピーアワーっぽい瞬間だ」みたいな感じでこの映画のことを頻繁に思い出す。

特に好きなシーンは麻雀のシーンとフェリー乗り場のシーン 

ただ、5時間もある映画なので、なかなか映画全体を語った感想を見かけていない。

NOBODY ISSUE44 特集:濱口竜介『ハッピーアワー』

NOBODY ISSUE44 特集:濱口竜介『ハッピーアワー』

 

この雑誌には色々書いてあるのかもしれないけど、見かけない...

 

そんなこともあって、制作にまつわる全体像について監督自身が執筆したこの本を読んだ。

カメラの前で演じること

カメラの前で演じること

 

はじがきの

それから時間を重ね、今はどちらかと言えば全く逆のことを確信している。映画や音楽は人が生きることを助ける。最良のそれらは常に、人が真摯に生きたことの証拠であるからだ。記録機械であるカメラ(やマイク)はその事実を確かに記録して、何度でも再生する。疑いようのない証を見て、聞いたことが受け取った者の基底において生きることを励ます。確信を持ってそう言えるのは、それが僕自身において起きたことだからだ。

今は僕自身が、「カメラの前で演じること」を励ますために、そのリスクと価値を語りたい。それが即ち『ハッピーアワー』の方法を語ることにもなる。

という文章に胸が熱くなりながら読みはじめ、読み終わった時には、この映画が目指していた理想の高さに驚いた。

演技経験のない人々に様々な工夫を施し、彼らと強固な信頼関係を築いて撮影されたあの映画は、まさに引用の文中にある「人が真摯に生きたことの証拠」があらゆる瞬間に刻み込まれ、この映画に出演したことが彼らの今後の人生の支えになっていくような作品になっていることを痛感した。単なる一本の映画ではなく、もっと大きなものに。

 

制作にまつわる話とシナリオに加えて、キャラクターに実在感を持たせるために書かれたサブテキストが載っていた。このサブテキストは、役者陣に脚本上描かれない「裏」の時間をどのように提示したのかを示す役割だったのだが、その分量の多さに驚いたし、何よりこれも映像にして欲しかったと思った。

 

10個ほどのシーンに分かれてサブテキストが存在するんだけど、メインの4人の女性が初めて一堂に集った日のサブテキストが白眉。相米慎二やイーストウッドの話が出てきた後、カラオケ行ったら誰がどの曲歌うかで言い争うシーンの多幸感たるや。この4人のその後を知っているから切なさもあって、胸いっぱいになる。

RCの「雨上がりの夜空に」の歌い方を聞いて、その人が「雨上がりの夜空に」をどのくらい聞いてきたかわかる、みたいな細部が豊かなエピソードはなんとなく柴崎友香とか津村記久子っぽい感じもする。どっちも関西出身の作家だ。

 

ということで映画を見た方には本も勧めたい。

ちなみに映画は12月に中野で再び上映が決まっていた気がする。DVD化されるか怪しいので是非スクリーンで!

あとは、こちらも神戸を担う人、tofubeatsが登場する鼎談も面白い。

kansai.pia.co.jp

最果タヒ「きみの言い訳は最高の芸術」など、最近読んだ本のこと

 最果タヒ「きみの言い訳は最高の芸術」

きみの言い訳は最高の芸術

きみの言い訳は最高の芸術

 

最近至る所で注目を集めている最果タヒさんのブログに書かれていたエッセイを書籍化したもの。

浅い関係でいてくださいと、思うようなこともある。

共有するのは感情だとか苦労だとか不幸だとかよりも、お天気や食べたケーキがおいしいことだったり、そういう他愛もないものであってほしいと思っている。

人間が複数いる限り、私たちは「私たち」にはなれなくて、たぶん永遠に個人がよりそっているだけなのだと思う。ただの群れだ。それを孤独だと思うことはなく、ただどこまでも他人でしかない存在とともにいて、他愛もないものを共有して、そのことを幸せだと信じて生きていく。そんな自分のひからびた感性をちゃんと愛していこうと決めている。

たくさんメモとったけど、ここが一番好きかも。インターネットに関するエッセイもいくつかあったりするからかもしれないが、世代の近さを感じたり。

 

 真魚八重子「映画なしでは生きられない」

映画なしでは生きられない

映画なしでは生きられない

 

 

色々な媒体で名前を見かける真魚八重子さんの映画評論集。装丁がかっこいい!

トム・クルーズ論を読んで、日本で、トム・クルーズに近いところ(基本的には王道を歩みつつも、しばしばパブリックイメージからずれた役を演じたり、意外な監督の作品に出たりする)にいる俳優は福山雅治なのかなと思った。

あと、時代を先駆けてモラハラを描いていたっていう解釈の成瀬巳喜男論も面白かった。

 

イーユン・リー「さすらう者たち」

さすらう者たち (河出文庫)

さすらう者たち (河出文庫)

 

中国生まれだけど、今はアメリカに住んで英語で執筆しているという21世紀の世界文学感の強いイーユン・リーの作品。

文革後の中国のある街で、1人の女性が政治犯として処刑された前後の話を街に住む人々が多層的に語る群像劇、読みやすかった。

 

三島由紀夫「お嬢さん」

お嬢さん (角川文庫)

お嬢さん (角川文庫)

 

 

本格的な文芸作品っぽい三島由紀夫はなかなかハードルが高いのだけど、これは当時の若い女性向けの雑誌の連載で書かれた軽い感じの小説で楽しい。広尾の有栖川公園がロマンスの舞台になっていて、自分が知っているあの公園と同じとは思えないけど、微笑ましい。

 

山内マリコ「あのこは貴族」

cakes.mu

単行本が発売されている前にcakesで週3回更新されている山内マリコさんの新作。

山内さんの小説は、地方で思春期を過ごす女子の話が多かったから、都会のお嬢様が主人公の話は新鮮。でも、新宿駅からタクシーを使って、グランドハイアットに行って、アフタヌーンティー楽しむ女子大生とか登場人物の人柄を描写するディティールの細かいところは相変わらずでそういうのとても好き。

山内さんへの思いはこのエントリにも書いてあったりするのでよかったら。

m-tenenbaum.hatenablog.com

 

最近読んだ本はこんな感じですが、他にもこちらのエントリに書いてあったりするのでよければ読んでくれたりするとハッピーです。

m-tenenbaum.hatenablog.com

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m-tenenbaum.hatenablog.com

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「半分のぼった黄色い太陽」とアディーチェのこと

2,3年前にも読もうと思って図書館で借りたけど、挫折してしまったアディーチェの「半分のぼった黄色い太陽」に再トライして読み終えた。最年少でオレンジ賞という女性作家が英語で書いた本の中でその年最も優れたものに与えられる文学賞を受賞し、世界に注目されたのも納得。とても面白かった。読後の感慨が深かった。

半分のぼった黄色い太陽

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  • 作者: チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ,くぼたのぞみ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2010/08/25
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なぜ再トライしたのかというと、挫折していた間に、彼女がTEDでスピーチした「We should all be feminists」がビヨンセの曲やクリスチャン・ディオールのショーで引用されたり、どんどん影響力が高まっている雰囲気を感じていたからだった。

www.youtube.com

本は、第二次世界大戦後のナイジェリアでビアフラ戦争という内戦の中で生きた姉妹の生活を中心に描かれている。人々がアフリカ・内戦といったワードを聞いた時に連想しがちな、政府や軍部の腐敗、飢餓だけではなく、食べたり、飲んだり、唄ったり、冗談を言い合ったり、恋をしたりする当たり前の市井の生活が描かれる。生きづらさを感じる女性はどこの世界にもいるという当たり前のことに気づかされる。

最初おじさんが私と結婚したころ、家の外の女たちがやってきて、わたしに取って代わるんじゃないかと気が気じゃなかった。いまじゃ、彼のすることでわたしの人生が変わることは絶対ない。それはわかっている。わたしの人生は、わたしが変えたいと思ったときだけ変わるんだ。

 

今日映画が公開された、こうの史代のマンガ「この世界の片隅に」は、この小説と世界観が近そうだから早く映画を観に行きたいなと思った。

 

 

彼女が別のTEDスピーチで述べた「シングルストーリーの危険性」も、画一的な価値観で世界を捉えてしまうことの恐ろしさについて語られている。これは日本語訳で視聴できるので是非見て欲しい。

www.ted.com

 

"The single story creates stereotypes,and the problem with stereotypes is not that they are untrue,but that they are incomplete.They make one story become the only story."

 (中略)

"The consequence of the single story is this:It robs people of dignity.It makes our recognition of our equal humanity difficult.It emphasizes how we are different rather than how we are similar."

ここが好き。 

 

 

【Book】知らないはずの、知っていること/『夜の姉妹団』『明日は遠すぎて』 | 花園magazine

アディーチェはまだ30代と若く、著作もまだそれほど多くないので、上のブログで

読みたくなる素敵な感想が書かれている「明日は遠すぎて」、短編集「アメリカにいる、きみ」、発売されたばかりの「アメリカーナ」も読みたい。

 

明日は遠すぎて

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  • 作者: チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ,くぼたのぞみ
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アメリカにいる、きみ (Modern&Classic)

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アメリカーナ

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  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
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これから時代を担っていくであろう作家(作家に関わらずクリエーター全般そうだけど)をリアルタイムで応援することができるのは今を生きる醍醐味がある

Enjoy Music Clubの新曲を聴いて、インターネットの白魔術を考えた

Enjoy Music Clubがロロの三浦さんを招いた新曲「100%未来」がポップカルチャー愛に満ちてて超良い。

 

EMCのメンバーの方が製作の経緯や引用の元ネタをブログに書かれているんだけど、共通のブログを愛読してたことが曲のテーマにつながったという話がとても素敵

ssmtmt1988.hatenablog.com

 

ここからは自分の話になっちゃうんだけど、サビの「未来はいつも100パー楽しいから」というフレーズの元ネタが爆笑問題太田になっていて、これはどういうことなんだろうと思って調べたら、てれびのスキマさんのブログが出てきた。超人気エントリだったのに今まで読んだことがなかったけど、これも良い話。

littleboy.hatenablog.com

 

あと、この曲の歌詞で引用されているゴットタンの佐久間Pが、この曲の感想で、ポップカルチャーを信じる気持ちにあふれたサイトを知れたことがインターネットを始めてよかったこと、白魔術だったみたいなツイートをしてて、白魔術ってフレーズは、このブログの影響なのかなーと思った。

mogmog.hateblo.jp

 

Twitterでもブログでもめちゃくちゃ好きなものの話をする。幸せな思い出を掘り返す。楽しいことを探すし、いっぱい教えてもらう。好きなアイドルの好きなところを何度も何度も手を替え品を替え示して、好きな漫画の新刊が出る度に超おもしろかった!って書いて、泣いてしまった小説に言葉を尽くして感謝をつづって、まぁ結局はあとで読み返す自分のためなんだけど、ついでに誰かにちょっとでも届けばいいと思う。

ここが本当に好き! たぶん、この人はいろいろ考えてこの結論に到達したのかと思うと安易に好きと言っていいのかためらうけど、それでも好き。

手に入れたいのはハッピーエンドじゃない。鍛え抜かれたハッピーマインドだ

っていうオールナイトニッポンZEROでカトチエさんが言ってた、確か矢沢あいのキラーフレーズがあるんだけど、「インターネットもぐもぐ」さんはそんな感じのハッピーマインドが溢れるブログで最高

 

そこで自分のブログはどうだろうかと思って振り返ってみると、始めてまだ1年くらいだけど、好きなものに関する感想を残しておいた方が楽しいなと本当に思うし、もっと好きなものやテンションが上がった瞬間に関して記しておきたいなと思った。

実はよく読まれている記事が、ある映画に関するネガティブな感想(検索で流入してきてる)なんだけど、その時に抱いたネガティブな感情を今はもう覚えていないから、アクセス解析を見るたびにちょっとモヤモヤした気分になる。

対照的に、楽しいことを綴った感想が当事者の方に届いたりするとやっぱり嬉しいよ。これとか

m-tenenbaum.hatenablog.com

これとか

m-tenenbaum.hatenablog.com

 

自分なりの鋭い視点で物事を切り取ってやるぜ!みたいな下心は犬にでも喰わせて、スマホで昔撮った写真を見返した時のような懐かしい気持ちになるようにブログを更新していきたいなと改めて思った。

 

あと、以前ロロの演劇を観に行った感想はここに書いたのでよかったら

m-tenenbaum.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランクル「夜と霧」とイーストウッド「ハドソン川の奇跡」 〜命を数えるということ〜

大学生の時間のあるうちに、きちんと名著を時間をかけて読むというのも大事なんだろうなと思って手にとって読んだ本がフランクル「夜と霧」。 内容は以前から知ってたけど、特に理由もなく読んでいなかった。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

知っている方もいらっしゃると思うが、内容を簡単に説明すると、心理学者である著者の第二次世界大戦中のナチスの強制収容所体験を綴った本になっている。人が極限の状況に追い込まれたとき、どんなことを考えて、どんな行動をとるのかが克明に記されている。

その途中でこんな文章が出てくる。

移送と決まった病気の被収容者の痩せ細った体が、二輪の荷車に無造作に積み上げられた。荷車はほかの被収容者たちによって、何キロも離れたほかの収容所まで、吹雪をついて押していかれた。死んでいても一緒に運ばれた。リスト通りでなければならないからだ。リストが至上であって、人間は被収容者番号をもっているかぎりでにおいて意味があり、文字通りただの番号なのだった。死んでいるか生きているかは問題ではない。「番号」の「命」はどうでもよかった。番号の背後にあるもの、この命の背後にあるものなど、これっぽっちも重要ではなかった。ひとりの人間の運命も、来歴も、そして名前すら。

 

ここを読んだときに、こないだ見たイーストウッドの「ハドソン川の奇跡」を思い出した。

あらすじとしては、不慮の事故に見舞われながらも、1人の死者も出さずにハドソン川への着水に成功させた機長をめぐる話なのだが、この映画では、フランクルが記した、強制収容所におけるナチスの人命を軽視した行動と対照的に、一人一人の人間に焦点を当てようとする。

一部の乗客に焦点を当てて、彼らがどんな人柄で、なぜこの飛行機に乗ることになったのかを90分代の映画にしてはわりとしっかり時間をかけて描く。そこではギリギリで搭乗ゲートにやってくる、旅先でのゴルフを楽しみにしている父親と息子などが描かれる。

そして、着水直後、混乱のため乗客の安否が確認できなかった機長の元に全員無事であることを報告するシーンでは、機長に向けて、ただ「全員無事」と言うのではなく、「155人だ」と伝えられる。

そのときの「155人だ」というセリフからは、ただの数字ではなく、番号の背後にある、一人一人の人間が生き延びたことが伝わって胸を打たれた。

そのことを「夜と霧」を見て思い出した。

 

ニュースでは伝わらない数字の背後にある物語を届けるということは、表現に求められている役割の一つなのだと改めて。

村上春樹が卵と壁のスピーチでも似たようなことを言っていて、それを高校生の時に読んで以来そういったことは常にぼんやりと自分の頭の中にある気がする。

 

私が小説を書く理由は一つしかありません。

それは個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光をあてるためなのです。

物語の目的は警鐘を鳴らすことです。

システムが我々の魂をその蜘蛛の糸の中に絡め取り、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。

私は、物語を通じて、人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません。

 

「ハドソン川の奇跡」に関しては、愛読している青春ゾンビの感想が素晴らしいのでこちらもぜひ。

hiko1985.hatenablog.com

 

 

 

池田純一「〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神」を読んで、是枝監督のことを思い出した

 

〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神 (講談社現代新書)

〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神 (講談社現代新書)

 

 

この本を手に取ったきっかけは、映画の「ズートピア」にある。

内容には大満足だったのだけど、話の本筋とは少しずれた部分で気になることがあった。それは、主人公が何度か「世界をよりよくしたい」("try to make the world a better place")というセリフを話す点だった。そのセリフが繰り返されるたびに、「このセリフは、すごいアメリカっぽいな〜」と思った。

アメリカっぽいという印象を具体的に掘り下げると、ミッションとして "To give people the power to share and make the world more open and connected"を掲げるFacebookだったり、"To organize the world's information and make it universally accessible and useful"を掲げるGoogleといったアメリカの企業のことを連想していた。

なんでこういった企業は、「世界をより良くする」みたいな大言壮語を掲げるのだろうか? 

そんな疑問がある中で出会ったのがこの本。以下のプロローグが商品紹介に書かれていた時点ですぐに手に取った。

【プロローグより】

未来とは、待てば自ずからやって来るものなのか。

それとも、未来は、自らの手で引き寄せ、築くものなのか。

……イノベーションの聖地であるシリコンバレーでは、圧倒的に後者の態度が取られる……彼らは、未来は自分たちで築くものだと信じている。では、なぜ彼らはそう信じきることができるのか。本書で扱うことは、突き詰めればこのことである。

この本はこの疑問から出発して、アメリカ史・哲学史・テクノロジー史などを幅広く横断しながら、核心に迫る内容になっている。

正直、一読しただけでは、新書とはいえ内容の幅広さに自分の教養がついていかないのであまり理解できていないのだけど、とりあえず気になったことがあったのでメモ。

 

アメリカは、4年ごとにある総選挙で社会が意識の上でリセットされるという指摘からの流れで以下の文章が続く。

ところで、この「時間のグリッド化」の前提にあるのが、徹底的に直線化された、西洋的、キリスト教的時間であることには注意が必要だろう。線条の時間を前提にした上で、その直線状にさしあたっての係留点を想定できるからこそ、未来を段階的に操作できると信じることができる。恐らくは、ディケイド・ミレニアムという言葉も、そのようなキリスト教社会に特有な線条的時間観があるからこそ、想定可能なものだろう。わかりやすく言えば、工場の製造ラインの管理や、企業の管理会計のような、単位時間が経過するたびに、チェックポイントが示されていくような時間観だ。

 

西洋=直線、東洋=円環という時間の流れに対する考え方の違いは、こないだ読んだ是枝さんのエッセイにも書いてあった。

映画を撮りながら考えたこと

映画を撮りながら考えたこと

 

 

是枝監督自身は、それほど意識していなかったにも関わらず、小津安二郎との関連性を指摘されることが多いという話から

僕の作品が小津の作品に似ているとしたら、方法論やテーマではなく時間感覚なのではないかと。日本人のなかにある円を描く時間感覚、人生も含めて「巡る」という感覚で時間を捉えていくことに西欧の人は共通点を見出すのではないかなと思うのです

 

円を描く時間感覚というのは輪廻転生とかそういう言葉に代表されるような感覚を言っているのかなと思うんだけど、それが西洋的な価値観とは決定的に異なるという認識がなかったので、映画とか見るときに気をつけてみたら面白いかも、という話でした。