デジタルマーケティングについて「BCGが読む 経営の論点2018」からまとめてみた
年末年始は時間があり、下記の本から、自分の仕事と関係のあるデジタルマーケティングについて書かれていた部分を読んだので、簡単にまとめてみた。
1. 現状のデジタルマーケティング
まず、現状では、デジタルマーケティングを導入していると言っても、マス向けマーケティングの延長線上の発想に留まっている企業が多いと指摘している。
具体的には、YouTubeに広告を出した、Facebookにブランドページを作成した、などが挙げられる。確かにこれらは広告枠がデジタルになっただけで、デジタルだからこそできるマーケティングだとは言い難い。
2. 理想のデジタルマーケティング
それでは、「デジタルだからこそできるマーケティングとは何か?」と考えた時に、ここでは、デジタルの持つ技術やデータを用いて、多様なユーザーのそれぞれの購買・消費行動(カスタマージャーニー)を掴み、彼らの行動が変わる「モーメント」を発見して、そこのツボをしっかり突くことが、まさにデジタルだからこそできるマーケティングだと語られている。
また、これがまさしく「ユーザーを中心に据えたマーケティング」と同義だと主張している点も非常に重要であると感じた。
3. 理想に向けて必要なアクション
では、そういったデジタルだからこそできるマーケティングを進めるために必要とされていることが2点挙げられている。
(1) ユーザーの行動の「見える化」
これは、ユーザーの情報を多面的に獲得して、一連の行動としてつなぐことが、精度の高いレコメンデーションを実現するからである。
(2) 「ユーザーを中心とした組織」を実現していくための構造改革
これは、往々にしておきるマスマーケティングとIT部門との間にある組織的な壁を打破しない限り、デジタルだからこそできるマーケティングは実現が難しいからである。
4. 今後の流れ
(1) ユーザーデータの異業種連携・活用による新たなモデルの構築
従来の隣接領域だけではなく、異業種プレイヤーが保有するデータを持ち寄り、連動することで、これまでとは違う角度からユーザーの生活に迫ることができ、まさに前述したユーザーの行動の「見える化」につなげることが出来る。
(2) AIを活用したパーソナライゼーション
これまではモバイルがユーザーの情報をインプットして、また、それをアウトプットするデバイスとして支配的な地位を集めていた。しかし、最近では、情報をインプットするデバイスにはスピーカー、アウトプットする方法にはOOH広告などが出てきた。そういったデバイスの多様化をつなぐ存在として重要になってくるのがAIであり、これからはAIを用いて、各々のユーザーにあった最適な情報を提供していくことを目指す。(これはまさににGoogleが掲げるAIファーストを指すと思う)
5. 読んで思ったこと
普段自分が仕事で取り組んでいる部分は、ここで語られるような大きな枠組みの話ではなく、どうしても枝葉の話になりがちである。ただ、やり取りする相手が役職がある方だったりする場合は、こういった文脈からデジタルマーケティングの話を進めていかないと、予算を獲得するのは難しいということを最近実感するので、読んで勉強になりました。
2016年7週目のこと
このシリーズを書こう、書こうと思っていたけど放置してしまった。これは特に自分に向けて書いている部分も大きいので、ちゃんといつどこで書くか決めておかないと。
この週のダイジェスト
2/12(日)
映画の話ばっかりする飲み会をした。どんな映画を見たかも楽しいけど、どう見たか、何を感じたかの話をもっと聞きたい。
2/13(月)
恵比寿にチャリで行く。
ガーデンプレイスで昼から子供と遊んでいる母親の集団を見て、改めてこの人たちめちゃセレブだなと思ったり、アトレの有隣堂で時間をつぶしていたら、隣の人がバレエの雑誌を立ち読みしていて、バレエの雑誌(鑑賞用ではなくて、習っている人向けの雑誌)があること、そして、それを立ち読みする(=雑誌の需要がある)ことに二重の意味で驚いたりしていた。恵比寿は、中学生のときから馴染みがあるけど、その当時は、このあたりに住むことが意味するニュアンスをあまり汲み取っていなかった。
初めての恵比寿ガーデンシネマで、モーガン・マシューズ「僕と世界の方程式」とグサヴィエ・ドラン「たかが世界の終わり」を見る。ドラン作品は、今までガツンときたことはないんだけど、いつか打ちのめされる日がくるのではないか、と思って見ている。今回のラスト、ただ事じゃないことが起こっているということは伝わってきたので、次も期待。
このレビューは面白かった。
2/14(火)
この日は、カルテットの序盤にあまりに乗れなかったことを鮮明に覚えている。この次もつまらなかったら、どうしよーと思った記憶。(その悩みは杞憂に終わる)
池辺葵「雑草たちよ 大志を抱け」が前作の「プリンセスメゾン」に引き続き面白かった。どんな人も必ず大切な物語を持っていて、その尊さに胸がいっぱいになる話。山内マリコ作品の影響かもしれないが、地方の高校生の話が基本的に好きなんだけど、これはちょっとテイストが違った。多くの地方を舞台にした話は地方の閉塞感に息がつまる、みたいな描写があるけど、今作はあまりそういった描写がなかったことが大きいのかも。
2/15(水)
図書館で読んだこの本が面白くて、ブログにまとめてみたら、長谷先生本人にRTされた。
せっかく映画をたくさん見る習慣があるなら、もう少し見方・語り方の引き出しを増やしたいなという問題意識があるので、これは本当に分かりやすかった。
2/16(木)
この日はゼメキス「マリアンヌ」をみた。前作「ザ・ウォーク」以来ゼメキスが好きになっている。マリオン・コティヤールの衣装がとても綺麗だった。「カサブランカ」が元ネタになっていると聞いたので、そちらもみたい。
2/17(金)
ボウイ展を見に天王洲アイルまでチャリで出かける。なかなか遠かった。展示会の感想はここに書いたけど、かなり楽しかった。思わずクリアファイルも買った。スタッフの人もかなりいい感じだった。
ちなみにボウイの曲だと「Rebel Rebel」か「Heros」が好きです。
天王洲アイルまで行く間に、金銀のポケモンが追加されたというので、ポケモンgoを再開したらまんまとハマる。学校がない時期にタダで楽しめるコンテンツは中毒性が高すぎる。デートスポットで有名なT.Y. HARBORを尻目に一人でポケモンしているのは、俯瞰で見ると、なかなかの冴えなさで思わず早く卒業して、お金稼ぎたいなと強く思った。この日は、チャリを長い時間漕いだので、初めて近くの銭湯に行ってみたら、休憩スペースが銭湯のわりに広くて、かなり快適で、今後も使っていきたいなと思った。
2/18(土)
この日は、ゼロックススーパーカップで鹿島が勝ったのを見届けた記憶しかない。とりあえず一冠
デミアン・チャゼル 「ラ・ラ・ランド」
ありえたかもしれない未来に思いを馳せつつも、現状を肯定していくラストは好き。
それこそ、小沢健二の新曲「流動体について」とのシンクロニシティーがある
シネマカリテや閉館したシネクイントでかかっていたら、すごい素敵な作品を見た!って思えたんだろうなという印象。
近年でいったら「はじまりのうた」みたいな受け入れられ方で人気が広まっていくなら自然だと思えるけど、宣伝で言われているような映画史に残る傑作だとか、エポックメイキングな作品かと言われれば、それはあまり腑に落ちない…
前作「セッション」は結構好きです。
以下気になったところ3点
1. 話運びの拙さ
2人の関係性が大きく変化する2カ所の大事な場面(映画デートと1人芝居後の喧嘩)へのストーリーの運び方がうまくないと思った。
予定をきちんと確認して、ダブルブッキングがあったら、連絡すればいいじゃん。
同じような展開が2回続いたので、上手くないなと思った。
エマ・ストーンはまだ、冒頭でオーディションの予定を忘れていたシーンがあったので、そういうズボラな人なのかなと思えたけど、ライアン・ゴズリングは、不自然で唐突なダブルブッキングで、あのケンカ後ならきちんと予定確認してよ、最低でも撮影で行けないってメッセージ送るのが妥当じゃない?
2.ミアの魅力の乏しさ
全編通してミアというキャラクターが好きにならなかった。映画館で上映中のスクリーンの前に立つなんて映画が好きな人がとる行動としてとても信じられないし、音楽を蔑視した態度とるじゃん。ああいう人は嫌いだ。
肝心の夢を追っている姿も切実には見えないし、セブに対する態度もなんかペラペラに見えちゃって、この人の夢を応援したい気持ちにならない。
3.ミュージカルシーン
最初とラストは最高だけど、それ以外ミュージカルシーンは迫力もあまりないし、明るく楽しくって感じでもなくてうーんって感じだった。高揚感が意外となかった。
しかも今感想書いてて思ったのは、考えたことを熱量もって伝えたい気持ちでもないというのが期待していた分すごい残念。
自分でも細かいところを書いている気がするけど、そういった細かいところが気にならなくなるほど素晴らしいものがあったか?と言われるとかなり微妙でした。サントラもかなり聞いていたのに。
でも公式サイトの推薦コメントでは山崎まどかさん、山内マリコさんといった普段映画を見るときに参考にしている方の絶賛コメントがあってあれだし、瀬田なつきがロマンティックだって褒めてるけど、あなたの映画の方がキュートでロマンティックだと思った。(Parks楽しみ!)
塩田明彦「映画術 その演出はなぜ心をつかむのか」からカサヴェテスの話
暇だけど、お金は相変わらずないし、バイトをするモチベーションは皆無なのでひたすら大学の図書館で気になる本を読む日々なんですが、久しぶりに読んだこの本の内容が初めて読んだ時(おそらく約3年前)よりも理解できて興奮した。
今回再読した際に、一番気になった部分はカサヴェテスについて言及するところだった。
カサヴェテスに関しては、今まで作品を全く見てこなかった。名前は知っていたが、敷居の高さを感じていた。
しかし、そんな私もカサヴェテスに興味を持ち始めるきっかけがあった。
それは去年「ハッピーアワー」を見ていたく心を動かされたことだった。
あの作品は、当初「BRIDES」という仮タイトルがつけられていて、それはカサヴェテスの「ハズバンズ」という作品にちなんだものだったという。それならもしかしたら私にもカサヴェテス作品を楽しめる可能性があるのかもしれないなと思っていたところで今回の本での言及だった。
具体的にカサヴェテス作品の特徴を著者はこう語っている。
カサヴェテスの映画は、人物そのものがドラマ-被写体としての人間そのものをドラマとして捉えています。
つまり人間の内面に強烈にフォーカスしているんですけど、それでもカサヴェテスの映画が、世に山ほどある、いわゆる「人間の内面を描いた映画」に比べて圧倒的に面白いのは、登場人物が行動することを忘れないからなんですね。あくまで、「行動」を通して「感情」を捕まえようとしている。
それまでのアメリカ映画の登場人物の作り方というのが、「この人はこういう人なんだ」しか言いようがない、その「性格」が、人物の「行動」のバネになっていたのにたいして、カサヴェテスは、「性格」の部分を「感情」に置き換えたわけです。今こういう「感情」だから、この人はこういう風に「動く」と。
(普通の映画監督は、ひとつひとつのシーンが明快に何について語っているのかを描いているという話から)
ところがカサヴェテスはそうしない。なぜなら感情が揺れ動くから。だから一つ一つのシーンがどんどん長くなってしまって、構成はあるんだけども、構成よりも一つ一つの心の持続によって観客の興味を引っ張っていく。作劇によるサスペンスではなくて、シーンが持続していく中での臨場感というか、登場人物たちの感情や行動が一瞬後にはどこへ向かっていくかわからないっていう、そういうハラハラドキドキによってサスペンスを生み出していく。そんなふうに映画を作ることが可能なんだということは、これはやっぱりものすごく革新的な驚くべき発見だったわけです。
ここで書かれているカサヴェテスの話は、「ハッピーアワー」にもかなり影響を与えていることが下記の濱口監督のインタビューからも伺われる。ここでは「感情」を「エモーション」と言い換えられているけど。
『ハッピーアワー』濱口竜介インタビュー 「エモーションを記録する」| nobodymag
僕は『ハズバンズ』というものに、もしくはすべてのカサヴェテス作品に「エモーション」を感じるわけです。そして、実のところそれを見なければきっと映画を作るという選択肢自体そもそもなかったような気がします。このエモーションというものを追求しない限り、僕には映画を作る意味というのはないんです。そうきちんと思えるようになったのは最近のことですけど。なので、答えになるかはわからないんですけれど、エモーションというのは当然見えないんだけれど、見えるもの、聞こえるものを通じて感知されるものだと思うんです。その点では、風みたいなものですね。
このエモーションをどう記録するかということに関しての工夫の軌跡はこの本に記されている。
カサヴェテス作品への敷居が下がったので、近いうちに借りてみようと思った、という話。
「DAVID BOWIE is」展と野中モモ「デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター」
天王洲で行われているデヴィッド・ボウイの大回顧展「DAVID BOWIE is」に行ってきたんだけどかなり面白かった!
とても力の入った展示になっていたので、少しでも興味がある人は多分損はしないからぜひ行ってみてほしい〜
この展示会は本当に様々なものが展示されていて、飽きさせない作りになっていた。
全員に貸し出されるヘッドホンから音源を聴きながら、衣装・制作メモ・ポスター・インタビュー映像を見ることで目も耳も楽しめる。普通の美術館だとどうしても絵(静止画)を見ることが中心になるので飽きてしまう僕でも楽しめた。アレキサンダー・マックイーンの服の美しさたるや!他の誰も似合わないだろうと思うような服を着こなすかっこよさ!
この展示を通じて、改めてカルチャーやアートというワードから一般的に私たちが連想するようなもの、映画やファッションや小説の影響を受けながら、時代の先端で音楽を作ってきた人だったのだなということを実感した。常に時代の先端ってことではなかったけど、最後でマーク・ジュリアナらを起用したことで一気に挽回した印象。
デビューからSpace Oddityまでの時期と比べて、ベルリン期の資料が若干薄かったのが残念だったのだけど、キュレーターのインタビューを読むとある程度意図的だったことが伺われる。
そんな私は、まさにボウイが時代の先端にいなかったどころか、まともに活動してなかった2000年代後半から海外の音楽を聴くようになったので、正直そんなに詳しくなくて、有名な曲を知ってる程度だった。
だから、せっかく行くなら事前に予習しておいた方が楽しめるかなと思って手に取ったのが、野中モモさんが書いたこの本。(最初の時期は混んでるだろうと思ったこともある)
デヴィッド・ボウイ: 変幻するカルト・スター (ちくま新書1234)
- 作者: 野中モモ
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/01/05
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ボウイの作品と世間の反応を振り返りながら、その当時の時代の雰囲気までもコンパクトにまとめてあって、ビギナーが読むのは最適だと思う。私はまさにここで書かれているように「ウォールフラワー」で「ヒーローズ」が使われたあたりから追っかけ始めたタイプなので、そういった人たちを射程に入れて書いてくれてありがたい。
David Bowie - "Heroes" | The Tunnel scene | The Perks of Being a Wallflower
改めて1967年にデビューアルバムを出してから、1980年の13枚目「スケアリー・モンスターズ」までの制作ペースの早さが異常だった。
ここで書かれていた、当時の人々にとって革新的だったと言われている1972年のBBCの「トップ・オブ・ザ・ポップス」での「スターマン」を演奏する映像が、展示会で流れていてかなりテンション上がった。
長谷正人編集「映像文化の社会学」
早稲田で「テレビ文化論」などの人気授業を担当していたり、タマフルでもゲストで登場したことがある長谷正人 が編集を務めている「映像文化の社会学」という教科書を読んだ。
どんな本かは、はじがきで書かれている部分を引用する。
映画や写真を、ただ娯楽や芸術として味わって終わらせるのではなく、そもそもなぜ人間が多様な映像文化を自らつくりだし、楽しもうとしてきたのかを考え、人類の社会生活の歴史のなかで位置づけ直すこと。そのような社会学的な思考のきっかけを読者のみなさんに提供することを目的にしています。
去年出版された本なので、セルフィーやインスタグラムについても言及されているし、あくまで教科書なので、難解な説明や筆者固有の主張は極力省かれている印象で読みやすい。
最近の自分の問題意識として、せっかく映画や小説が好きなら、それらを多角的に楽しめるための引き出しをもっと増やしたいというものがあったので、この本は自分のそういった意識にぴったりの教科書だった。
ここで知ったことをいくつか整理しておきたい。
観客中心的な視点から見た映画の歴史
これはおおよそ3つに分けられる
- アトラクションの映画
- 古典的映画
- ポスト古典的映画
1は、1895年のリュミエール兄弟の最初の上映会から1920年代末のサイレント映画の時代くらいまでに支配的だった、テクノロジーとしての<視聴的効果>で観客を楽しませるような映画を指す。
2は、トーキー映画が普及した1930年代初頭から1960年代半ばまでを支配した、派手な視覚的効果に頼ることなく、観客による<物語>の主人公への強い心理的感情移入を引き起こすような工夫がなされた映画を指す。
3は、それ以降から現代までの、物語的な感動は残しつつも、SFXや3Dなど特殊効果技術による<視覚効果>を利用して観客を喜ばすような工夫が凝らされるようになった映画を指す。
これは言われたら、そうだなと思う。初めて小津や成瀬といった日本映画の巨匠と讃えられるような監督の作品を見たときにピンとこないのは、普段見る映画が3のような映画が中心だったので、2のような映画をどう見ていいのかわからなかったことに原因があるのかなと思った。
ベンヤミンから連なる映画分析の系譜
ベンヤミンの「アウラ」の話を引用しつつ、映画分析の系譜の一つについて、
映画が観客に日常生活のなかでは見えていなかった無意識的世界を知覚させることに社会的現実の変革可能性を見出すような議論がある。
と書かれている。これはちょっと一読しただけだと難しいけど、その後の説明で腑に落ちた。そこでは
映画は、私たちの日常世界を、カットごとにめまぐるしく視点を変えて、バラバラに分解して観客に見せてくれる。そのように、既存の社会的な意味から自由に解き放たれた日常生活の光景を見ることは、観客が自ら活動する世界を現実の制約を超えて想像的に押し広げることになるのではないか。たとえば、スローモーションが、人間がゆったりと浮遊しているような光景を見せてくれ、クローズアップが事物の微細に変化し続ける表情を教えてくれるように、私たちはカメラの力を通して現実世界の新たな相貌に接近できるようになるのだ。
これは、映画の鑑賞後の感想でよくある、「映画を見る前と見た後でちょっと世界が違ってみえる」という現象を抽象度高めに言語化したものだと思った。
こんな感じで映画だけだなく、写真やテレビについてもその特性が分かりやすく説明されているので、ちょっと理論的なことを勉強したいと思っている人には勧めたい一冊です。
2016年6週目のこと その2(福岡旅行)
8日
この日から福岡に旅行に。暇だったので、急遽思い立ったのだけど、福岡に住む友人に会える見込みが立ったので決行。初めて成田の第3ターミナルに行ったけど、天井が鉄骨?むき出しみたいな感じになっていたりしてあまりお金かけずに作った雰囲気に満ちてて逆によかった。飛行機搭乗前に、福岡の宿を探さないとと思って調べていたら、ウェルビーが福岡にあることを知って歓喜する。ウェルビーのことは青春ゾンビさんのこのブログで知りました。
福岡に着いたのが夜だったので、すぐにウェルビーに直行し、寝床を確保する。ウェルビーの仕組み(着替えなど)が分からずちょっとアタフタするものの、一通り流れを把握した段階で、近くにあったキャナルシティを散策する。地理柄もあるだろうか、韓国からの観光客が目に付いた。キャナルシティ自体はこれといって目ぼしいスポットを見つけられず、無印の本屋に寄ってすぐに撤退。そこから噂に聞きし、ウェルビーのサウナへ。初めてロウリュウを体験する。熱波すげー。ロウリュウ師さんに拍手を送ることは「サ道」で学んでいたので、他の人の見よう見まねで一緒にやった。
圧倒的な満足感を感じて、就寝した。
9日
この日は夜に友達とご飯を食べるまで暇だったので、まずはのんびり朝ごはん&朝風呂に。
その後、 友達に勧められたラーメン屋へ
「長浜家」という店だったのだけど、近くに似たような店があるらしくて、「本家はここですよ!」的な看板を見かけた。
昼食後は天神のTOHOシネマズで「ミス・ペレグリン」を見る。旅行に行くのはいいものの、移動が面倒になってしまって映画見ちゃうの癖になりつつある。
映画は、ポイント鑑賞だったので外れても文句は言わないつもりで見たけど、期待を大きく裏切る楽しさだった。X-MEN(脚本家が同じ) meets 君の名はみたいな話。ただ、最後がちょっとバタバタして、理解できなくなってしまった。
映画後は、待ち合わせまで時間あったので、ボウイ展に行く前に読みたいと思っていたこの本を読む。
デヴィッド・ボウイ: 変幻するカルト・スター (ちくま新書1234)
- 作者: 野中モモ
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/01/05
- メディア: 新書
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ビギナーにも易しい内容で、断片的に知っていたことを整理できてかなり満足。
ボウイは、確かLCD Soundsystemが自分のアルバムをボウイのアルバムに例えていたことで知ったのが最初だった気がする。
その後は、友人と再会して、おしゃれな魚料理の店に連れて行ってくれた。
10日
この日は最終日だったので早起きして、下関にバスで向かう。前日、信じられないくらい寒いと思っていたら、まさかの降雪で慄く。バスの中で寝てしまって、気がついたら一面雪景色が広がっていて、夢と現実の境目が曖昧に。
ちょこちょこ写真を見ていた唐戸市場に行って、寿司を食べる。金曜と土日しかやっていないみたいだけど、金曜は空いていたのでオススメかもしれない。おばちゃんの接客スキルが高くて満足する。
雪が心配になったので、早めに福岡に戻る。案の定雪で遅延してしまう。搭乗口と機内で映画を見るために、ここぞとばかりにNetflixのダウンロード機能を利用しようとするものの、ダウンロードに恐ろしく時間がかかって、失敗に終わる。
11日
旅行欲が高まったので、友人と次の旅行を決めて、飛行機を確保する。少しの時間差で代金が1万円近くかわってしまってびっくりする。
その後、友人の引越しの手伝いに。引越しといえば、「横道世之介」での池松壮亮の引越しシーンは最高ですよね。ロフトベッドの組み立ては一人ではなかなか困難なイベントであるという学びを得ました。