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日々の一部始終

「自撮り」を肯定する

ここ最近、自撮りに関する文章を立て続けに読むという偶然があった。

最初は、早稲田リンクスによる山崎まどかさんのインタビュー

vol.30 だから、世の中には君らしさがある | Palette

山崎さんは、高校生くらいからずっと影響を受けている方で、このブログでも何回も言及している。最近だと、このエントリとか。

m-tenenbaum.hatenablog.com

 

そこで、自分の容姿を綺麗だと認識するための方法として自撮りが挙げられている。

自撮りはいい例だと思います。でもそれに対して「そんなに可愛くないような女の子がなに角度つけて写真を撮って、うぬぼれだ」とか「自己承認欲求が強い」って反発する人もいます。私は全然悪いと思いません。誰もがそういう、うぬぼれ鏡を持つべきです。そうすると、自分のいいところや美しさが誰にも奪えなくなります。誰かが「お前はブスだな!」って言っても「自分は自分の綺麗なところ知ってるよ!」って、それだけ随分違いますよ。

「うぬぼれ鏡」ってワードが良くて、自分でも使ってみたい。

自撮りとは直接関係ないのだけど、インタビューでは、海外の方が頻繁に褒め言葉を耳にするって話が出てくるんだけど、それは同意で、サラっと褒めてくれる人が多い印象。ロンドンのスマイソンで店員さんに「excellent!」を連発された時は、照れつつも嬉しかった。あと、何気なくカフェの店員がメガネを褒めてくれたりとかはよくある。

ただ、日本だとあまり褒められても記憶に残らないというバイアスがかかっている気もする。

 

次に文月悠光さんの「洗礼ダイアリー」

洗礼ダイアリー

洗礼ダイアリー

 

普段、詩人として活躍している文月さんが、穂村弘に勧められたことがきっかけで、「詩人」に対する凝り固まったイメージを打ち破るために書き始めたエッセイ。

柚木麻子さんが推していたから間違いないと思って購入。文月さんは、山崎さんが選考委員を務めたこともあるミスiDで柚木さんのプッシュを受けて個人賞を受賞した過去もあるので、文化圏が近い。

 

小さい時からあまり泣けなかった著者が、とうとう〈電車で泣く女の子〉になった瞬間の心情の移り変わりを細かく描写した「山手線号泣」や、大学卒業後に駅のジューススタンドのアルバイトを始めた「いらっしゃいませの日々」も面白かったけど、ここでは、自撮りをして、さらにSNSに挙げてしまう心情について描かれた「自撮り流星群」の話を。

携帯電話を持つようになった15歳のときから、自撮りをするようになった著者が、自撮りの持つ様々な観点についてふれる。

私たちは誰もが、ぼんやりとでも「こう在りたい自分」のイメージを思い描き、それを晒す自由を持っている。自撮りをする理由?そんなの「自分のため」に決まっている。私は自撮りを肯定したい。自己満足を愛したい。そこには、誰の評価にも屈しない強さがあるはずだから。

これは、前述の山崎まどかさんの発言とも通じる。

自分の顔ヘカメアを向ける。レンズの向こう側へと精一杯のまなざしを送る。自らの意志で晒すことを決めた。だけど、私は一方的に「見られている」のではない。

この目を通して、あなたという他者を「見ている」のだ。

こういう「見る」「見られる」の反転の表現は映画的な感じがして好き。

 

もともと、自撮りという行動に関してはわざわざ「可愛くないのに自撮りなんて云々」みたいな思考停止したことを言っている人も苦手だったけど、実は見る人の態度を試されているものなんだなと浅薄ながら考えました。Facebookで繋がっているスウェーデン、ベトナム、フィリピン、インドネシアの友人たちはバンバン自撮りをあげるイメージがあるので、日本人ももっと自撮りに寛容になったら、性別に関わらず多様性のある世界につながったりするかもね。