2016年6月に読んだ本
6月に読んだ本をまとめておく。今月は、タマフルの海外文学特集の影響と、時間に余裕もあったことで海外の作品をたくさん読んだ。タマフルの特集のことはここに書いたのでよかったら。
1.ダニエル・アラルコン 「夜、僕らは輪になって歩く」
内戦期に政府に反抗したことで伝説となった劇団が、内戦の終結後に各地を回る公演旅行に再び出向くことで始まる物語。
もう過去に何か取り返しのつかない重大なことが起きてしまったことが匂わされるが、それが何かよくわからないし、なんなら語り手が何者かすらもよくわからないというスタイルが独特だけど、初めからスラスラ世界観に入っていけた。語り手の正体が明らかになる瞬間や、とうとう物語の主人公に対面した時の、主人公の発する一言の重みが強烈だった。
2.呉明益 「歩道橋の魔術師」
翻訳大賞でも取り上げられていた台湾の小説家による作品。かつて台北に実在したという「中華商場」で幼年期を過ごした主人公たちが当時そこで起きた不思議な出来事を回想する話。「村上春樹が好き」っていう設定の登場人物がいたって普通に出てきて、もうそういうスケールの作家なんだな〜と改めて思う。
魔術師は二つの目で違う方向を見ながら言った。
「それは私にもわからないな。小僧、いいか。世界にはずっと誰にも知られないままのことだってあるんだ。人の目が見たものが絶対とは限らない。」
「どうして?」と僕は訊いた。
魔術師は少し考えてから、しゃがれた声で答えた。
「ときに、死ぬまで覚えていることは、目で見たことじゃないからだよ。」
3.リュミドラ・ウリツカヤ 「陽気なお葬式」
1991年の夏のニューヨークで、ソ連から亡命した主人公の病床に、過去に主人公と縁があった人たちが続々集まり、主人公との思い出を回想する話。
自分が愛した人が亡くなることと、母国がなくなりそうになることが同時期に怒っている模様を、重くなりすぎず、なんなら祝祭感溢れる感じに描くってすごい巧みだな〜って思った。
訳者のあとがきより
「解決策を示さないのか」あるインタビューでそう言われたとき、ウリツカヤは答えた。
問題を語ること、考えること、共有すること、それは既に、ひとつの行為なのだ。際限のない無理解と暴力に拮抗するひとつの「行為」なのだと。
4.前田司郎 「道徳の時間/園児の血 」
三島由紀夫賞(文学)、岸田國士賞(演劇)、向田邦子賞(テレビドラマ)といった幅広いジャンルの賞を総なめにしている前田司郎の最新作。彼が率いている五反田団に関しては、去年の冬に怪談を聞きに行っただけのまだまだビギナーだが、彼が脚本を担当した「横道世之介」はオールタイムベスト級に好きな映画。監督の沖田修一と前田司郎が中高の同級生なのは最近知った。
表題作の「道徳の時間」は、突如浣腸が流行ってしまったクラスでの先生と生徒の攻防を描いた作品。
浣腸が流行ったのは四年生の一学期が最初だった。
浣腸といっても、直腸に薬液を注入するわけではない。両手の平を合わせ、二本の人差し指を突き立てる。子供によっては中指を立てる者もあるが少数派である。標的の後ろから近づき、「かんちょー」と叫びながら、その二本の指を相手の肛門のあたりに突き刺す行為のことを言う。
「かんちょー」と発声するとき「かん」にアクセントを置く一群と、「ちょー」にアクセントを置く一群があり、「かん」にアクセントを置くほうが大多数であり、時間が経つと全員が「かん」にアクセントを置くようになった
最初の一行で十分伝わるのに、この細部へのこだわりが好き。
5.ムシェ 小さな英雄の物語
翻訳大賞受賞作。内戦下のスペインで、バスク地方に住む子供たちは戦火を逃れて、ヨーロッパ各地に疎開したという実話から生まれた物語。アウシュビッツ以外の強制収容所の話だったり、今まで決して大々的には語られてこなかった終戦間近のリューベックで起きた悲劇なども勉強になるが、やっぱりタイトルに書かれている「小さな英雄」の話として読むと感動する。
6.エドガル・ケレット 「あの素晴らしき七年」
イスラエルで活躍する作家の短いエッセイ集なんだけど、どうしたってイスラエルで暮らすしんどさが垣間見えちゃう、でも、そこをユーモアで乗り切ろうとする姿勢の素晴らしさが味わえる。確かにヴォネガットっぽいって言われるのもわかる気がする。両親の祖国であるポーランドに行った際のエピソードが特に好きで、ジャムサンドを食べたくなる。
父さんが何年も前に話してくれたベットタイム・ストーリーを思い起こしながら、魅力的な筋があるだけじゃなく、ぼくになにかを教えようとしているのだと気付いた。
どんなに見込みの低そうな場所でもなにかいいものを見つけんとする、ほとんど狂おしいまでの人間の渇望についての何か。
現実を美化してしまうのではなく、醜さにもっとよい光を当てて、その傷だらけの顔のイボやしわのひとつひとつに至るまで愛情や思いやりを抱かせるような、そういう角度を探すのをあきらめない、ということについての何か。