Reach For Tomorrow

日々の一部始終

ナナメの夕暮れ

今週、オードリーのオールナイトニッポンの武道館ライブに申し込んだ。リスナー歴は2,3年と短いが、若林の新しいエッセイ「ナナメの夕暮れ」を読んだら、この全国ツアーに対する思いに触発されて、今回は申し込まないといけないと思った。

"ハイセンスだと思われたい"というような自意識が低下したことによって、その反作用で隆起してきた「理解者がラジオを聴いてくれているときの"感じ"を、見つめて見つめて煮詰めて凝縮したようなネタが作りたい」という姿勢は、ものすごくオフェンシブな発想を引き出してくれた。

ネタが完成した時、正直、10年ぶりにオードリーの漫才がバージョンアップされた手ごたえがあった。

バージョンアップした漫才見たすぎる…

あと、西加奈子さんや加藤千恵さんといった、自分と趣味や悪口のポイントが合う異性に救われたという話があって、自分にもそういった友達がいたので、思わず感謝のメッセージを送った。送った後にちょっと恥ずかしい気持ちになったが、普通に受け止めてくれたのが、とても嬉しかった。

 

前のエッセイ「社会人大学人見知り学部卒業見込み」は実家のトイレに置いて何度も読み、特にここの部分はお守りのように大事にしている。

特にすごいわけじゃなく、特にダメじゃない。そんな自分の自己ベストを更新し続けていれば、結果が後からやってこようが来なかろうがいいじゃないか。特別な才能がないから自己ベストを更新し続けるしかないと言うあきらめは、僕にとって自信になった。

今回のエッセイと前のエッセイを読み通すと、意識に目に見える変化があって面白い。自分語りが多かった初期から、他者やファン、社会のことを気にかけるようになっていく現在までの課程が鮮明だ。

このエッセイを読んでいると、いつか自分ももう少し歳をとったら、今は何なんとなく嫌悪感があるようなことをシレっとやっていたりするのかもしれないと思う。

そう思って、今なんとなく嫌悪感があることって何かなと考えてみたけれども、そのこと自体ではなく、誰とやるか、みたいなところに嫌悪感の正体がある気がする。

例えば、友達とゴルフの打ちっぱなしに行くのは楽しそうだけれども、好きでもない会社の人とゴルフの打ちっ放しには行きたくはないなぁ〜みたいな感じ。

何年後かにこの文章を読み返すときがくるのが楽しみ。