「世界は文学でできている」のこと
作者の沼野充義は、
ロシアの歴史・文学研究の大御所で自分の知り合いの中で一二を争うくらい優秀な友達が褒めていたことがきっかけで知った。
この本は、中高生のための読者講座(特に世界文学)入門としてゲストを招いて開かれた講義をまとめたもの。(実は、中高生が思ったほど集まらなかったらしい)
彼曰く
世界文学というのは作品のリストではなくて、読み方の問題なのかもしれない。つまり、世界文学というのは、私が、あなたが、何をどう読むのかだということなんです。
偉い人の作る必読書リストが意味をなさなくなりつつある時代に、主体的に本を読むための道筋として、様々な本の読み方を示唆してくれる。
中高生向け講義ゆえか、文学を専門家が語り合うと聞いたときに僕がイメージするような難解な話はほとんどなく、この本を読み終えた後には、今まで名前は聞いたことあるけど、手にとって読んだことはない作家に関する関心が増した。
たぶんこれは、沼野さんのイントロダクションの素晴らしさによるところが大きいと思った。
ゲストが話す前に、ゲストの業績を話しながら、これからどんなテーマについて話し合うのか、そのテーマが私たちの読書とどう関わっているのかみたいな点を手際よく説明してくれているから、関心が強まった状態でゲストの話を読むことができた。
最初のイントロダクションが下手でわかりづらい授業をする大学教授は見習ってほしい。
平野啓一郎がゲストの回を例にあげると、
- 現在のインターネット時代において、文学はどうなっていくのか?
- 過去も未来も描くことができる作家にとって現代日本の「いま・ここ」とは何なのか?
- 古典も海外文学も含めて、自分の読むべき本をどのように選んでいくか?
みたいなテーマが、箇条書きにしたらピンとこないかもしれないけど、参加者に興味を持たせるように提示されている。
1番面白かったのは、ドストエフスキーの翻訳で有名な亀山郁夫の回
大江健三郎から「ドストエフスキーにおける宗教をどう考えるか?」と尋ねられて答えられなかった沼野さんが、「宗教的なバックグラウンドがないところでドストエフスキーを理解できているのか?」と質問したことに対して
たとえ宗教、あるいはキリスト教とは無縁のところででも、自分自身の生命のリズムのようなものを経験できる人であれば、十分に可能でしょう。
問題はあくまでも想像力の領域に属していますから、信仰者よりも深い超越的な感覚を持った人間は、世界中どこにでも存在します。いや、むしろ、超越的な何かに触れることのできない人間の方が少ないのではないでしょうか。
って答えてて、これってオザケンの「ある光」でいうところの
強烈な音楽がかかり 生の意味を知るような時
誘惑は香水のように 摩天楼の雪を溶かす力のように強く
僕の心は震え 熱情がはねっかえる
神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献
と一緒じゃない?って勝手に興奮。
小沢健二とドストエフスキーのシンクロ!
PV消えててむむむ
この「世界は文学でできている」シリーズもう一冊でてるので、そっちも読む予定。