Reach For Tomorrow

日々の一部始終

池田純一「〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神」を読んで、是枝監督のことを思い出した

 

〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神 (講談社現代新書)

〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神 (講談社現代新書)

 

 

この本を手に取ったきっかけは、映画の「ズートピア」にある。

内容には大満足だったのだけど、話の本筋とは少しずれた部分で気になることがあった。それは、主人公が何度か「世界をよりよくしたい」("try to make the world a better place")というセリフを話す点だった。そのセリフが繰り返されるたびに、「このセリフは、すごいアメリカっぽいな〜」と思った。

アメリカっぽいという印象を具体的に掘り下げると、ミッションとして "To give people the power to share and make the world more open and connected"を掲げるFacebookだったり、"To organize the world's information and make it universally accessible and useful"を掲げるGoogleといったアメリカの企業のことを連想していた。

なんでこういった企業は、「世界をより良くする」みたいな大言壮語を掲げるのだろうか? 

そんな疑問がある中で出会ったのがこの本。以下のプロローグが商品紹介に書かれていた時点ですぐに手に取った。

【プロローグより】

未来とは、待てば自ずからやって来るものなのか。

それとも、未来は、自らの手で引き寄せ、築くものなのか。

……イノベーションの聖地であるシリコンバレーでは、圧倒的に後者の態度が取られる……彼らは、未来は自分たちで築くものだと信じている。では、なぜ彼らはそう信じきることができるのか。本書で扱うことは、突き詰めればこのことである。

この本はこの疑問から出発して、アメリカ史・哲学史・テクノロジー史などを幅広く横断しながら、核心に迫る内容になっている。

正直、一読しただけでは、新書とはいえ内容の幅広さに自分の教養がついていかないのであまり理解できていないのだけど、とりあえず気になったことがあったのでメモ。

 

アメリカは、4年ごとにある総選挙で社会が意識の上でリセットされるという指摘からの流れで以下の文章が続く。

ところで、この「時間のグリッド化」の前提にあるのが、徹底的に直線化された、西洋的、キリスト教的時間であることには注意が必要だろう。線条の時間を前提にした上で、その直線状にさしあたっての係留点を想定できるからこそ、未来を段階的に操作できると信じることができる。恐らくは、ディケイド・ミレニアムという言葉も、そのようなキリスト教社会に特有な線条的時間観があるからこそ、想定可能なものだろう。わかりやすく言えば、工場の製造ラインの管理や、企業の管理会計のような、単位時間が経過するたびに、チェックポイントが示されていくような時間観だ。

 

西洋=直線、東洋=円環という時間の流れに対する考え方の違いは、こないだ読んだ是枝さんのエッセイにも書いてあった。

映画を撮りながら考えたこと

映画を撮りながら考えたこと

 

 

是枝監督自身は、それほど意識していなかったにも関わらず、小津安二郎との関連性を指摘されることが多いという話から

僕の作品が小津の作品に似ているとしたら、方法論やテーマではなく時間感覚なのではないかと。日本人のなかにある円を描く時間感覚、人生も含めて「巡る」という感覚で時間を捉えていくことに西欧の人は共通点を見出すのではないかなと思うのです

 

円を描く時間感覚というのは輪廻転生とかそういう言葉に代表されるような感覚を言っているのかなと思うんだけど、それが西洋的な価値観とは決定的に異なるという認識がなかったので、映画とか見るときに気をつけてみたら面白いかも、という話でした。