三浦大輔「何者」
朝井リョウ原作の「何者」を見た。
斜に構えるんじゃなくて、みっともない自分を受け入れて、一生懸命前進むしかないよっていうテーマ(桐島もそういう話だ)はきちんと響くし、見終わった後にあーだこーだ言いたくなる作品って時点で満足なんだけど…
違和感を感じた部分が4点ほどあったので、書き残しておく。
ネタバレ気味なので未見の人は注意してください。
1. 「ありのままの」私と就活の相性の悪さ
これは映画を見て、原作にもあった問題だと改めて気づいたこと。就活って、みっともない自分をさらけ出した所で、企業に求められるわけではないことが、多くの人を精神的に苦しめる問題だと思うのですが。最後のままだと佐藤健は人間的には成長したかも知れないけど、内定でないんだよ…それがなかなかしんどいのでは?
そこを踏み込んでほしかった
2. ラストの面接シーン
1と関連するんですが、みっともなくても頑張るってことを決心したなら、面接で長々自分語りするのはおかしくないですか?
しかもその話わざわざセリフにしなくても映像で伝えられるのでは?というか伝えようとしないと映像化する意味が…
面接で内定取るために必死に自己PRする姿を見せてもいいし、それが露骨な感じで嫌なら、桐島の最後みたいにぼやかした感じでもいいんだけど。原作は、あれほどの自分語りではなかった気がするんだけど…なんで改変したんだろう…
3. 性格の問題が、内定が出ない理由になる説得力があまり感じられない
グルディスのシーンを見ると、二階堂ふみに内定出ない理由は、意識高い系的な性格に問題があるんじゃなくて、基本的なコミュニケーションのマナーが出来てないっていう単純な問題にあるように見えちゃう。
意識高い系だけど、就活うまくいかない人ってそういう所が問題な訳ではない気がする…
あと、佐藤健みたいな観察者っぽい性格の人が就活上手くいかないっていうのがそもそもそんなにピンとこなくなったかも。コンサル志望者とかにいそうじゃない?
4.SNSで垣間見える人々の自意識っていうモチーフが新鮮じゃなくなってる
これは友達が言ってたことをそのまま書き残しているのだけど、原作が出た2012年当時より、プロフィールをスラッシュで区切ったり、友人に感謝!みたいなツイート頻繁にしちゃう人を嘲笑する感じってもう広く共有されている気がする。だから、それを佐藤健が言ったところで、分析が鋭いなんてことにはならない気がするし、なんなら、嘲笑するのももういいよって感じがするのは私の周りだけなのでしょうか?
これは最近、自分の自意識を肯定するモードに入っていることが大きいのかも。
そんな4点が違和感を覚えたところでしょうか。実際、しばらく時間を置いたらそんなに気にならなくなるのかも。
途中の演劇シーンで、ままごと「わが星」っぽい演劇やってるところがあって好きだった。