Enjoy Music Clubの新曲を聴いて、インターネットの白魔術を考えた
Enjoy Music Clubがロロの三浦さんを招いた新曲「100%未来」がポップカルチャー愛に満ちてて超良い。
【🆕&🆓】
— エンジョイ・ミュージック・クラブ (@EnjoyMusicClub) 2016年10月29日
EMCとロロの三浦さんでポップカルチャー・ラブソングを作りました↓
https://t.co/7K8Tn8IC3i
ヒコ氏による解説ブログはこちら↓https://t.co/EOXZhhvMyR
アートワークは@bobobobobob_58 さんです! pic.twitter.com/n9fLLC94RD
EMCのメンバーの方が製作の経緯や引用の元ネタをブログに書かれているんだけど、共通のブログを愛読してたことが曲のテーマにつながったという話がとても素敵
ここからは自分の話になっちゃうんだけど、サビの「未来はいつも100パー楽しいから」というフレーズの元ネタが爆笑問題太田になっていて、これはどういうことなんだろうと思って調べたら、てれびのスキマさんのブログが出てきた。超人気エントリだったのに今まで読んだことがなかったけど、これも良い話。
あと、この曲の歌詞で引用されているゴットタンの佐久間Pが、この曲の感想で、ポップカルチャーを信じる気持ちにあふれたサイトを知れたことがインターネットを始めてよかったこと、白魔術だったみたいなツイートをしてて、白魔術ってフレーズは、このブログの影響なのかなーと思った。
Twitterでもブログでもめちゃくちゃ好きなものの話をする。幸せな思い出を掘り返す。楽しいことを探すし、いっぱい教えてもらう。好きなアイドルの好きなところを何度も何度も手を替え品を替え示して、好きな漫画の新刊が出る度に超おもしろかった!って書いて、泣いてしまった小説に言葉を尽くして感謝をつづって、まぁ結局はあとで読み返す自分のためなんだけど、ついでに誰かにちょっとでも届けばいいと思う。
ここが本当に好き! たぶん、この人はいろいろ考えてこの結論に到達したのかと思うと安易に好きと言っていいのかためらうけど、それでも好き。
手に入れたいのはハッピーエンドじゃない。鍛え抜かれたハッピーマインドだ
っていうオールナイトニッポンZEROでカトチエさんが言ってた、確か矢沢あいのキラーフレーズがあるんだけど、「インターネットもぐもぐ」さんはそんな感じのハッピーマインドが溢れるブログで最高
そこで自分のブログはどうだろうかと思って振り返ってみると、始めてまだ1年くらいだけど、好きなものに関する感想を残しておいた方が楽しいなと本当に思うし、もっと好きなものやテンションが上がった瞬間に関して記しておきたいなと思った。
実はよく読まれている記事が、ある映画に関するネガティブな感想(検索で流入してきてる)なんだけど、その時に抱いたネガティブな感情を今はもう覚えていないから、アクセス解析を見るたびにちょっとモヤモヤした気分になる。
対照的に、楽しいことを綴った感想が当事者の方に届いたりするとやっぱり嬉しいよ。これとか
これとか
自分なりの鋭い視点で物事を切り取ってやるぜ!みたいな下心は犬にでも喰わせて、スマホで昔撮った写真を見返した時のような懐かしい気持ちになるようにブログを更新していきたいなと改めて思った。
あと、以前ロロの演劇を観に行った感想はここに書いたのでよかったら
フランクル「夜と霧」とイーストウッド「ハドソン川の奇跡」 〜命を数えるということ〜
大学生の時間のあるうちに、きちんと名著を時間をかけて読むというのも大事なんだろうなと思って手にとって読んだ本がフランクル「夜と霧」。 内容は以前から知ってたけど、特に理由もなく読んでいなかった。
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
- 購入: 48人 クリック: 398回
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知っている方もいらっしゃると思うが、内容を簡単に説明すると、心理学者である著者の第二次世界大戦中のナチスの強制収容所体験を綴った本になっている。人が極限の状況に追い込まれたとき、どんなことを考えて、どんな行動をとるのかが克明に記されている。
その途中でこんな文章が出てくる。
移送と決まった病気の被収容者の痩せ細った体が、二輪の荷車に無造作に積み上げられた。荷車はほかの被収容者たちによって、何キロも離れたほかの収容所まで、吹雪をついて押していかれた。死んでいても一緒に運ばれた。リスト通りでなければならないからだ。リストが至上であって、人間は被収容者番号をもっているかぎりでにおいて意味があり、文字通りただの番号なのだった。死んでいるか生きているかは問題ではない。「番号」の「命」はどうでもよかった。番号の背後にあるもの、この命の背後にあるものなど、これっぽっちも重要ではなかった。ひとりの人間の運命も、来歴も、そして名前すら。
ここを読んだときに、こないだ見たイーストウッドの「ハドソン川の奇跡」を思い出した。
あらすじとしては、不慮の事故に見舞われながらも、1人の死者も出さずにハドソン川への着水に成功させた機長をめぐる話なのだが、この映画では、フランクルが記した、強制収容所におけるナチスの人命を軽視した行動と対照的に、一人一人の人間に焦点を当てようとする。
一部の乗客に焦点を当てて、彼らがどんな人柄で、なぜこの飛行機に乗ることになったのかを90分代の映画にしてはわりとしっかり時間をかけて描く。そこではギリギリで搭乗ゲートにやってくる、旅先でのゴルフを楽しみにしている父親と息子などが描かれる。
そして、着水直後、混乱のため乗客の安否が確認できなかった機長の元に全員無事であることを報告するシーンでは、機長に向けて、ただ「全員無事」と言うのではなく、「155人だ」と伝えられる。
そのときの「155人だ」というセリフからは、ただの数字ではなく、番号の背後にある、一人一人の人間が生き延びたことが伝わって胸を打たれた。
そのことを「夜と霧」を見て思い出した。
ニュースでは伝わらない数字の背後にある物語を届けるということは、表現に求められている役割の一つなのだと改めて。
村上春樹が卵と壁のスピーチでも似たようなことを言っていて、それを高校生の時に読んで以来そういったことは常にぼんやりと自分の頭の中にある気がする。
私が小説を書く理由は一つしかありません。
それは個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光をあてるためなのです。
物語の目的は警鐘を鳴らすことです。
システムが我々の魂をその蜘蛛の糸の中に絡め取り、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。
私は、物語を通じて、人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません。
「ハドソン川の奇跡」に関しては、愛読している青春ゾンビの感想が素晴らしいのでこちらもぜひ。
池田純一「〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神」を読んで、是枝監督のことを思い出した
〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神 (講談社現代新書)
- 作者: 池田純一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/05/20
- メディア: 新書
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この本を手に取ったきっかけは、映画の「ズートピア」にある。
内容には大満足だったのだけど、話の本筋とは少しずれた部分で気になることがあった。それは、主人公が何度か「世界をよりよくしたい」("try to make the world a better place")というセリフを話す点だった。そのセリフが繰り返されるたびに、「このセリフは、すごいアメリカっぽいな〜」と思った。
アメリカっぽいという印象を具体的に掘り下げると、ミッションとして "To give people the power to share and make the world more open and connected"を掲げるFacebookだったり、"To organize the world's information and make it universally accessible and useful"を掲げるGoogleといったアメリカの企業のことを連想していた。
なんでこういった企業は、「世界をより良くする」みたいな大言壮語を掲げるのだろうか?
そんな疑問がある中で出会ったのがこの本。以下のプロローグが商品紹介に書かれていた時点ですぐに手に取った。
【プロローグより】
未来とは、待てば自ずからやって来るものなのか。
それとも、未来は、自らの手で引き寄せ、築くものなのか。
……イノベーションの聖地であるシリコンバレーでは、圧倒的に後者の態度が取られる……彼らは、未来は自分たちで築くものだと信じている。では、なぜ彼らはそう信じきることができるのか。本書で扱うことは、突き詰めればこのことである。
この本はこの疑問から出発して、アメリカ史・哲学史・テクノロジー史などを幅広く横断しながら、核心に迫る内容になっている。
正直、一読しただけでは、新書とはいえ内容の幅広さに自分の教養がついていかないのであまり理解できていないのだけど、とりあえず気になったことがあったのでメモ。
アメリカは、4年ごとにある総選挙で社会が意識の上でリセットされるという指摘からの流れで以下の文章が続く。
ところで、この「時間のグリッド化」の前提にあるのが、徹底的に直線化された、西洋的、キリスト教的時間であることには注意が必要だろう。線条の時間を前提にした上で、その直線状にさしあたっての係留点を想定できるからこそ、未来を段階的に操作できると信じることができる。恐らくは、ディケイド・ミレニアムという言葉も、そのようなキリスト教社会に特有な線条的時間観があるからこそ、想定可能なものだろう。わかりやすく言えば、工場の製造ラインの管理や、企業の管理会計のような、単位時間が経過するたびに、チェックポイントが示されていくような時間観だ。
西洋=直線、東洋=円環という時間の流れに対する考え方の違いは、こないだ読んだ是枝さんのエッセイにも書いてあった。
是枝監督自身は、それほど意識していなかったにも関わらず、小津安二郎との関連性を指摘されることが多いという話から
僕の作品が小津の作品に似ているとしたら、方法論やテーマではなく時間感覚なのではないかと。日本人のなかにある円を描く時間感覚、人生も含めて「巡る」という感覚で時間を捉えていくことに西欧の人は共通点を見出すのではないかなと思うのです
円を描く時間感覚というのは輪廻転生とかそういう言葉に代表されるような感覚を言っているのかなと思うんだけど、それが西洋的な価値観とは決定的に異なるという認識がなかったので、映画とか見るときに気をつけてみたら面白いかも、という話でした。
三浦大輔「何者」
朝井リョウ原作の「何者」を見た。
斜に構えるんじゃなくて、みっともない自分を受け入れて、一生懸命前進むしかないよっていうテーマ(桐島もそういう話だ)はきちんと響くし、見終わった後にあーだこーだ言いたくなる作品って時点で満足なんだけど…
違和感を感じた部分が4点ほどあったので、書き残しておく。
ネタバレ気味なので未見の人は注意してください。
1. 「ありのままの」私と就活の相性の悪さ
これは映画を見て、原作にもあった問題だと改めて気づいたこと。就活って、みっともない自分をさらけ出した所で、企業に求められるわけではないことが、多くの人を精神的に苦しめる問題だと思うのですが。最後のままだと佐藤健は人間的には成長したかも知れないけど、内定でないんだよ…それがなかなかしんどいのでは?
そこを踏み込んでほしかった
2. ラストの面接シーン
1と関連するんですが、みっともなくても頑張るってことを決心したなら、面接で長々自分語りするのはおかしくないですか?
しかもその話わざわざセリフにしなくても映像で伝えられるのでは?というか伝えようとしないと映像化する意味が…
面接で内定取るために必死に自己PRする姿を見せてもいいし、それが露骨な感じで嫌なら、桐島の最後みたいにぼやかした感じでもいいんだけど。原作は、あれほどの自分語りではなかった気がするんだけど…なんで改変したんだろう…
3. 性格の問題が、内定が出ない理由になる説得力があまり感じられない
グルディスのシーンを見ると、二階堂ふみに内定出ない理由は、意識高い系的な性格に問題があるんじゃなくて、基本的なコミュニケーションのマナーが出来てないっていう単純な問題にあるように見えちゃう。
意識高い系だけど、就活うまくいかない人ってそういう所が問題な訳ではない気がする…
あと、佐藤健みたいな観察者っぽい性格の人が就活上手くいかないっていうのがそもそもそんなにピンとこなくなったかも。コンサル志望者とかにいそうじゃない?
4.SNSで垣間見える人々の自意識っていうモチーフが新鮮じゃなくなってる
これは友達が言ってたことをそのまま書き残しているのだけど、原作が出た2012年当時より、プロフィールをスラッシュで区切ったり、友人に感謝!みたいなツイート頻繁にしちゃう人を嘲笑する感じってもう広く共有されている気がする。だから、それを佐藤健が言ったところで、分析が鋭いなんてことにはならない気がするし、なんなら、嘲笑するのももういいよって感じがするのは私の周りだけなのでしょうか?
これは最近、自分の自意識を肯定するモードに入っていることが大きいのかも。
そんな4点が違和感を覚えたところでしょうか。実際、しばらく時間を置いたらそんなに気にならなくなるのかも。
途中の演劇シーンで、ままごと「わが星」っぽい演劇やってるところがあって好きだった。
「自撮り」を肯定する
ここ最近、自撮りに関する文章を立て続けに読むという偶然があった。
最初は、早稲田リンクスによる山崎まどかさんのインタビュー
vol.30 だから、世の中には君らしさがある | Palette
山崎さんは、高校生くらいからずっと影響を受けている方で、このブログでも何回も言及している。最近だと、このエントリとか。
そこで、自分の容姿を綺麗だと認識するための方法として自撮りが挙げられている。
自撮りはいい例だと思います。でもそれに対して「そんなに可愛くないような女の子がなに角度つけて写真を撮って、うぬぼれだ」とか「自己承認欲求が強い」って反発する人もいます。私は全然悪いと思いません。誰もがそういう、うぬぼれ鏡を持つべきです。そうすると、自分のいいところや美しさが誰にも奪えなくなります。誰かが「お前はブスだな!」って言っても「自分は自分の綺麗なところ知ってるよ!」って、それだけ随分違いますよ。
「うぬぼれ鏡」ってワードが良くて、自分でも使ってみたい。
自撮りとは直接関係ないのだけど、インタビューでは、海外の方が頻繁に褒め言葉を耳にするって話が出てくるんだけど、それは同意で、サラっと褒めてくれる人が多い印象。ロンドンのスマイソンで店員さんに「excellent!」を連発された時は、照れつつも嬉しかった。あと、何気なくカフェの店員がメガネを褒めてくれたりとかはよくある。
ただ、日本だとあまり褒められても記憶に残らないというバイアスがかかっている気もする。
次に文月悠光さんの「洗礼ダイアリー」
普段、詩人として活躍している文月さんが、穂村弘に勧められたことがきっかけで、「詩人」に対する凝り固まったイメージを打ち破るために書き始めたエッセイ。
柚木麻子さんが推していたから間違いないと思って購入。文月さんは、山崎さんが選考委員を務めたこともあるミスiDで柚木さんのプッシュを受けて個人賞を受賞した過去もあるので、文化圏が近い。
小さい時からあまり泣けなかった著者が、とうとう〈電車で泣く女の子〉になった瞬間の心情の移り変わりを細かく描写した「山手線号泣」や、大学卒業後に駅のジューススタンドのアルバイトを始めた「いらっしゃいませの日々」も面白かったけど、ここでは、自撮りをして、さらにSNSに挙げてしまう心情について描かれた「自撮り流星群」の話を。
携帯電話を持つようになった15歳のときから、自撮りをするようになった著者が、自撮りの持つ様々な観点についてふれる。
私たちは誰もが、ぼんやりとでも「こう在りたい自分」のイメージを思い描き、それを晒す自由を持っている。自撮りをする理由?そんなの「自分のため」に決まっている。私は自撮りを肯定したい。自己満足を愛したい。そこには、誰の評価にも屈しない強さがあるはずだから。
これは、前述の山崎まどかさんの発言とも通じる。
自分の顔ヘカメアを向ける。レンズの向こう側へと精一杯のまなざしを送る。自らの意志で晒すことを決めた。だけど、私は一方的に「見られている」のではない。
この目を通して、あなたという他者を「見ている」のだ。
こういう「見る」「見られる」の反転の表現は映画的な感じがして好き。
もともと、自撮りという行動に関してはわざわざ「可愛くないのに自撮りなんて云々」みたいな思考停止したことを言っている人も苦手だったけど、実は見る人の態度を試されているものなんだなと浅薄ながら考えました。Facebookで繋がっているスウェーデン、ベトナム、フィリピン、インドネシアの友人たちはバンバン自撮りをあげるイメージがあるので、日本人ももっと自撮りに寛容になったら、性別に関わらず多様性のある世界につながったりするかもね。
「青春映画学園祭」のこと
この週末は、「青春映画学園祭」というイベントに参加した。
このイベントはGucchi's Free Schoolという、日本で劇場公開されていなかったり、日本版のDVDが発売されていない映画を紹介している映画サイトが企画したもの。
サイトはこちら
今回の映画祭では、「6才のボクが、大人になるまで」でお馴染みリチャード・リンクレイター監督の「Slacker」等7作品が3日間で上映されたんだけど、その内の2作品「ビヨンド・クルーレス」・「スペクタキュラー・ナウ」を見た。
その映画の感想も後ほど書くとして、「ビヨンド・クルーレス」上映後の山崎まどかさんと長谷川町蔵さんのトークショーが面白かったので、気になった点を3点メモしておく。
- ジョン・ヒューズ映画の影響で80年代アメリカの文化系の子供たちはThe SmithやThe Cureといった80年代のUKバンドを聴いているっていうイメージが出来ているけど、実際はそんなことはなかったはずで、歴史が改ざんされているのでは。最近の有名な例だと、ストレンジャー・シングスの行方不明になる子供のお兄ちゃん。恐るべしジョン・ヒューズ。
- ティーン向けの映画に出たことを黒歴史にする役者がいるけど(例:「恋のから騒ぎ」に出たヒース・レジャー)、後にそのティーン向けの映画(この映画は必ずしもその時一番売れた映画とは限らないところもポイント!)を見て、影響を受けた人達がクリエイターとして第一線で活躍するようになると、彼らを再び抜擢して、そこからキャリアが巻き返せるなんてことも起きているから、あんまり黒歴史にしない方がよいのでは?(例:「ヘザース」に出てたクリスチャン・スレーターとウィノナ・ライダーはそれぞれ「Mr.Robot」と「ストレンジャー・シングス」で人気再燃中)
10 Things I Hate About You: Can't Take My Eyes Off You (Heath Ledger) -
学園映画というのは、若い監督・俳優が必要なジャンルであり、年代が進むにつれて、基本的なフォーマットやお約束はありつつも、実はアップデートされている。例えば、最近で言うと「DOPE」のようにキャラクターに多様性が出てきたりとか。また、作り手の学生時代がどうしたって反映されてしまうものであるから、そういう要素を考えながら見てると飽きない。二人の口から出た注目作品は「ドープ」の他に「ぼくとアールと彼女のさようなら」(これは面白かった!)、「スパイダーマン・ホームカミング」、「Dear White People」、「The Edge of Seventeen」
トークショーのメモは以上で、簡単に映画の感想を書いておくと、「ビヨンド・クルーレス」は95~04年くらいの200本ほどの学園映画を5つの章に分けて、カットアップしたりして「アメリカの学園映画とはなんぞや?」みたいな真理に迫る作品だった。プールサイドのラブシーンがどんどん流れてくるシーン圧巻だった。ジェイク・ギレンホールが無菌環境の部屋で育てられてたけど、好きになった隣人のためにとうとうその部屋を出て、旅に出る「バブル・ボーイ」が超面白そうだった。
「スペクタキュラー・ナウ」は、ここまで直球の設定の青春映画も珍しいのではと思った。主人公もヒロインのキャラクターもどこにでもいそうな感じだし、二人の間に立ちはだかる障害もどこにでもありそう。丁寧っちゃ丁寧なんだけど、どこか物足りなく感じてしまった。「セッション」のマイルズ・テラーはジャズドラマーを目指さないし、「ルーム」のブリー・ラーソンは部屋に閉じ込められることもなく、高校を卒業する。
「青春学園映画祭」は志も高いけど、敷居はそれほど高くなくて、手作りのパンフレットのクオリティも500円とは思えない超充実の出来で良きイベントでした。
彼らが以前企画した「アメリカン・スリープオーバー」(傑作!)のアンコール上映が決まったみたいなので、気になったかたは見てみるといいかも。
2016年夏 東京〜愛媛・香川までの旅行記
中学時代からずっと仲の良い後輩と5泊6日の旅行に行ってきた。その備忘録ブログ
とりあえず、二人ともお金に余裕がなかったので、大体予算3万円くらいで出来る限り旅行しようということでスタート。ちなみに、旅行に行くことが決まったのも2日前というバタバタ感。
1日目 用賀〜浜松 by ヒッチハイク
1日目は16時頃に集合して、用賀からヒッチハイクすることに。
後輩が以前、ヒッチハイクで約5時間で行ったことがあったのと、共通の友人がいたこともあって名古屋までを目標にした。
私はヒッチハイク初体験。1人なら絶対出来ないから、友達がいてくれてよかった。
始めてみると、予想より車が止まってくれなくて、夜行バスに切り替えようかなんてことを考える時間帯もあったし、車から写真を撮られてイラッとする瞬間もあったけど、2時間くらい経ったタイミングで載せてくれる人が現れる!
その方は、ヒッチハイカーを載せ始めて6年くらい経っていて、奥さんとの出会いもヒッチハイクというヒッチハイクの申し子的な方だった。その方に足柄SAまで連れて行っていただく。
足柄SAでは、10分くらいで次に乗せてくれる方が現れる。今度の方は対照的に、初めてヒッチハイカーを載せたというデビュー戦の方だった。その方は仕事の都合で浜松に行くつもりだったとのことで、浜松までご一緒させていただくことに。
テレビやブログとかで見聞きしたことはあったけど、実際にヒッチハイクに成功するとめちゃくちゃ嬉しいことが判明した。これで人生観が変わるとかではないけども。
浜松に22時頃着く。このまま名古屋まで行っても良かったのだけど、友達が浜松に住んでいるので、その家に泊めてもらうことに。GWも遊びに行ったのだけど。
友達との合流後は、ヒッチハイクの達成感に浸りながら、この温泉へ行った。良きとこでした。
2日目 浜松〜尾道 by青春18切符
この日は、当初大阪までヒッチハイクをするつもりでいたのだが、泊まるあてが見つからないことや、とっとと西日本行きたいねって雰囲気になったことがきっかけで、浜松駅付近の金券ショップで青春18切符を購入する。2回分で5400円のものが一つしか売ってなくて、それを買わざるを得なかった。
ただ、静岡を出る前にやっぱりさわやかに駆け込む。開店前に並んだので、全く混まずにいただく。
初めて食べた友人も満足した模様。旅の最後まで「さわやか、また行きたいっすね」を連呼していて良かった。
ここからは、大阪で途中たこ焼き休憩を挟んだ以外、ノンストップで尾道まで行った。
21時くらいに尾道に着いて、電車内で調べて、予約しておいたゲストハウスに泊まる。
ゲストハウスは快適だった。スタッフ方の対応や部屋の清潔さなどを考慮しても2500円は安すぎ。
友人はつい最近までバングラデシュにいたし、僕も東南アジアへの旅行(フィリピンの田舎の島に行ったことも)を通して、宿に贅沢は求めない傾向にあると思うけど、それを差し引いてもオススメです。
ここも良さそうだった。予約でいっぱいだったけど
尾道空き家再生ゲストハウス「あなごのねどこ」 | 尾道空き家再生ゲストハウス「あなごのねどこ」
宿にチェックインした後は、近くの温泉を勧められたので、 再び温泉へ行ったのち就寝。
尾道みなと館について | 尾道 天然ラジウム温泉 宿泊 | 尾道みなと館
追記:とにかく行き当たりばったりの旅だったので、移動中に色々調べまくりながら進んだのだけど、その中でも役に立った記事が下の2つ