是枝裕和「歩くような速さで」・「世界といまを考える」
中学生の時に「誰も知らない」を見て衝撃を受けて以来、大好きな映画監督の一人である是枝監督の新作「海よりもまだ深く」が週末に公開される。これを機に、エッセイ「歩くような速さで」・対談集「世界といまを考える」を読んだので、新作を見る上でヒントになりそうな部分を2つほど探してみた。
1. 家の扱い方
このインタビューによると、今作は監督が生まれ育った団地が舞台になっているとのこと。「歩くような速さ」では故郷についてこう語っている。
一戸建てに生まれ育った母にとっては集合住宅というのは何とも居心地が悪かったらしく、「仮住まい」という感覚がずっと消えなかったように思う。残念ながらということになるのだろう、父も母もこの団地が終の住処になった。
僕自身も団地を離れて20年が経ち、帰郷する場所を失ってから既に5年になる。故郷と呼べる場所はこの世に存在しないという寂しさ。自分のこどもにとって今住んでいるマンションがやがて「故郷」と呼べる場所になり得るのだろうかという不安。いつかそんな感情も映画の中で描いてみたいと思っている。
「海街dairy」では、何代も住み続けた家が舞台として重要な役割を担っていたが、今作では家がどのような役割を果たしているのかについて注意してみたいと思う。
2. 描きたい世界
今回の作品は事前の情報だと、これまでの作品のような子供の取り違えや、子供の置き去りといったわりと、言い方は悪いが「キャッチーな出来事」はなさそうな地味な作品という印象を抱いている。阿部寛がうだつの上がらない中年を演じるという共通点もあるので、これまでの作品でいうと、「歩いても 歩いても」に近そうな雰囲気
「歩くような速さで」は、こう書かれている。
僕は主人公が弱点を克服して家族を守り、世界を救うといった話が好きではない。むしろそんなヒーローが存在しない等身大の人間だけが暮らす薄汚れた世界が、ふと美しく見える瞬間を描きたい。そのために必要なのは歯を食いしばることではなく、つい他者を求めてしまう弱さなのではないか。欠如は欠如ではない。可能性なのだ。そう考えると世界は不完全なまま、不完全であるからこそ豊かだと、そう思えてくるはずだ。
「世界といまを考える」では、
僕の場合は、演技を撮るわけではなく、その人がそこで生活をしていて、その周りに人がいて、家があり、町があり、世界がちゃんとそこにある。彼らは映画が終わったあともそこで暮らし、もちろん映画が始まる前もそこで話したり、笑ったり、泣いたりしていたんだろうという、そういう世界を映画という枠組みの中に立ち上がらせたいんです。
こういった発言からも、今回はより普遍的な日常に寄り添った話になりそうな気がしている。
あー楽しみ!!
以前見た「奇跡」・「海街diary」の感想はこちら